川根茶の歴史

お茶は養生の仙薬なり、
延齢の妙術なり

平安時代後期、1191年(建久2年)京都の明菴栄西(みょうあんえいさい)禅師が宋(中国)で、医薬としての茶の効能を学び、日本でお茶を飲む習慣を伝え、鎌倉時代、宋(中国)へ留学していた高僧円爾(えんに)(聖一国師)が晩年、駿河国安倍郡足久保(現静岡市足久保)にお茶の種を蒔き、栽培を始めたのが静岡茶(本山茶)の最初だといわれ、禅宗の流布とともに、お茶の不老長寿の効能を伝えて、広まりました。

泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず

若き日に見た黒船が、茶畑開墾の原動力?

15代将軍徳川慶喜が大政奉還し戊辰戦争で敗れた旧幕府元幕臣の山岡鉄舟・勝海舟の提言により中條金之助(ちゅうじょうきんのすけ)が元徳川藩臣らをまとめて、1869年(明治2年)幕臣救済事業「金谷原開墾方」として牧之原大地(現静岡県牧之原市、島田市)を開墾して広大な茶園を造り上げました。

1877年(明治10年)杉山彦三郎によって、優良品種の「やぶきた」の開発のおかげで、静岡は、日本を代表する茶産地となりました。

悠久の歴史を刻む「銘茶」

川根茶の始まりは定かではないですが、1599年(慶長4年)安土桃山時代には、検地帳に茶畑の記載があり、江戸時代徳川家康が好んだ上質なお茶を栽培する茶園として広まったとされ、1641年(寛永18年)将軍徳川家光の時代には、年貢として納められた記録が残っていることから、400年以上前から栽培されていました。


江戸時代後期、川根村久野脇(現川根本町久野脇)の茶匠諸田新左衛門・瀬沢(現川根本町下長尾)の茶匠村松嘉蔵や川根村水川(現川根本町水川)の中村藤五郎・伊久美村(現島田市伊久美)の坂本藤吉によって、製茶技術が研究されて、明治時代には、静岡茶として海外への輸出品の重要な生産品となりました。


大正時代初頭、中川根村藤川(現川根本町藤川)の中村光四郎翁が手揉み茶宇知太流の指導のもと手揉技法を極め、川根揉切流を考案して、川根茶の品質向上に尽力しました。


こうした先人者の努力と技術が受け継がれ、今も川根茶生産者のお茶作りに対する情熱と修練が、近年の「銘茶川根茶」に活かされています。

川根茶を産む地理

自然豊かな「川根茶」の故郷

南アルプスを源流とする大井川が流れる静岡県中央部の中上流域に位置する川根地区が「川根茶」の名産地です。

四方を山々に囲まれ、山の傾斜や河岸段丘を利用して茶畑が広がっています。

原生自然環境保全地域の大井川源流部、ブナの原生林など自然に囲まれ、南アルプスエコパークに登録されている地域です。「美女づくりの湯」といわれる寸又温泉・「若返りの湯」といわれる接阻峡温泉など温泉施設が豊富で、沿線を走る大井川鐡道は、毎日SL(蒸気機関車)や、日本唯一のアプト式鉄道を運行するなど、観光地としても魅力的な地域です。

良質な茶樹が育つ贅沢な環境

大井川に流れ込む大小の川や雪解け水を含む伏流水が通年新鮮な水を運んで、1000mを越す山々に囲まれた地域は、山霧や川霧によって日照時間が短く、昼夜の寒暖差が大きいために、茶葉が薄く柔らかく、渋味・苦味成分を抑え、旨味成分を豊富に含んだ良質な茶葉が育つ恵まれた環境といわれています。

高冷地という環境から病虫害の被害が少なく、先代から続く伝統的な栽培方法で肥えた土壌は、有機栽培・無農薬栽培の茶園も多いです。

美味しい茶葉を育む茶園

川根地区全体の90%以上を占める森林を開墾し、山間の斜面や河岸段丘に造られた茶園では、大型機械の導入は難しく、代々手間暇かけて栽培されてきました。

「芽重型」「茶草場」農法など、地域に根付いた栽培が研究され、1年を通して手塩にかけて育てられた茶葉は、「美味しい川根茶」となります。

農林水産省が認定するエコファーマーの茶農家も多いです。

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